どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、独学のアウトプット。現在は情報セキュリティの勉強中。

教養人であるための独学記


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教養はそれ自体価値のあるもの

教養人でありたい、と願う。

それは、ヘルマン・ヘッセが説いたように、「教養」というものがただそれだけで目指すべき価値であるから。

本当の教養は、何らかの目的のためのものではなく、完全なものを目指すすべての努力と同様に、それ自体価値のあるものなのである。

ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』草思社文庫、P.81

 

人間は、「強さ」のために体を鍛えるし、「美しさ」のために衣服で着飾ったりする。

そこには、何か目的がある場合もある。「友達の中で評価されたい」とか、「異性にモテたい」とか。

しかし、よく考えてみると、ある目的のために「強くありたい」「美しくありたい」と思うのは、自分を含め周りの人たちの中で「強いことは素晴らしい」「美しいことは価値がある」という考え方が共有されているからだ。

「強さ」や「美しさ」には価値があると見なされている。だからこそ、それらの「価値」を身に付けている人は評価され、魅力的に見えるのだと言える。

 

まさにこれらと同じように、教養を身につけるために学び考えることは、究極的には、「教養は価値がある」という考え方ゆえに、なされる。

時間をかけて学んだことが、結果的に何かの役に立つかもしれないし、何の役にも立たないかもしれない。

そのようなこととは関係なく、ただ「教養」自体に目指すべき価値があると信じるからこそ、学ぶ。

 

 

なぜ、教養はそれ自体に価値があると言えるのか。

その理由はわからない。現時点での僕に、これを論証しうる能力はない。

けれど、教養に価値を感じ、それを身に付けたいと願う自分自身の気持ちは、わかる。

今はただ、それに従おうと思う。

 

何から始めるか?→世界史にしよう

教養人になる、と言っても、簡単な道のりではない。

どのような基準によって「教養がある」と判定できるのか。そもそも「教養」とは何か。その定義は、僕の中で未だに定まってはいない。

 

しかし、目指すべき方向はわかる。

「教養人と呼ばれる人ならば、最低限これは知っている」という知識がどんなものか、おぼろげながら想像できる。

まずは、それらの「最低限の知識」のうち、今の自分に不足している部分を補うところから始めればいい。

 

僕は「世界史」から始めることにした。

 

教養人ならば、世界について自分なりに理解し、自分の言葉で意見を語れると思うからだ。

そのためには、過去に起きた出来事を知っている必要がある。経緯を知らずに現在のことを語っても、その意見に説得力はない。

 

加えて、大学時代に使っていた参考書の言葉にも影響を受けている。

世界史という科目はエリートになるための科目です。(中略)どんな職業に就いても、どんな社会的な地位におかれていても、自分と自分を取り巻く社会、その社会と結びつく国家、その国家群からなる国際政治、様々な主体からなる世界、これらを考えていきたいという姿勢を絶えず持ち続ける人を、ぼくはエリートと考えています。

荒巻豊志『荒巻の新世界史の見取り図 上』東進ブックス、P.7

 

僕は、ただ単にエリートぶりたいだけなのかもしれない。「自分は世界のことを考えている」「だから他の人とは違う」と思いたいだけなのかも。

そのような欲望があることは、否定しない。

それでも、社会や世界について考える人間=エリートは一定数必要だし、僕はその1人でありたいと願う。

 

一方で、

「世界」のような壮大なことには関与せず、自分の手が届く範囲だけで、好きなことだけを考えて暮らしたい、と望む自分もいる。

学ばなければいけない知識量の多さに、絶望し、気が狂いそうになることもある。

 

そんな風に嫌になることがあっても、それでも僕は、やはり世界について考え続けよう。

世界を理解することは、外なる誰かからの要請ではなく、自分の内側から起こってくる願いだから。

そして、自分の内側にあるものからは、逃れられないのだから。

  

 

 ミニ書評 

文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)

文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)

  • 作者: ヘルマンヘッセ,フォルカーミヒェルス,Hermann Hesse,Volker Michels,岡田朝雄
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: 文庫
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「読書法」に関する本を読み漁っている時に出会った、作家ヘルマン・ヘッセによる読書に関するエッセイ集。

「たくさん読むよりはむしろ、一冊の本をじっくり読み、著者と友達になろう」と説く論調は、流行の「速読・多読」路線とは一線を画している。

 

ちなみに、この本でいうところの「読書」とは主に「文学」を読むこと。仕事で必要な専門知識を得るための読書、という観点では書かれていない。

しかし、本格的に「文学」に取り組んでみたい、と思う人は是非読んでほしい。「よし、難しそうな文学作品も読んでみよう!」と思えて、モチベーションが上がる。

僕はこの本を読んで、ギリシア古典の『イリアス』『オデュッセイア』に挑戦する意欲を持つことができた。