どくどく記 〜読書と独学の記録〜

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【世界史】自分で歴史の「見取り図」を描く


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こんにちは、燐太郎(@redphos15)です。

 

現在、世界史の学習中。

今後の勉強を進めていくにあたり、今の時点で、自分なりの「世界史の見取り図」を描いておきたいと思う。

 

 

1.「見取り図」の元ネタ

使っている教材のタイトルから拝借。ご存知の方も多いことと思う。

 

荒巻の新世界史の見取り図 上 (東進ブックス 名人の授業)

荒巻の新世界史の見取り図 上 (東進ブックス 名人の授業)

 

 

受験生時代にもお世話になった本だ。しかし、当時は良さがあまり理解できていなかった。 

 

(1)知識の断片ではなく、ストーリーとしての歴史

昔馴染み

この参考書の特徴は、著者の荒巻氏が自身の歴史観に基づき、「歴史の大きな流れ」を重視して記述していることにあると思う。

同書の他にも「歴史の流れがわかる!」と謳われた本はある。中には、『見取り図』より優れたものがあるかもしれない。

それでも僕がこの本を使うのは、ただ単に「昔馴染みだから」である*1

 

エピソード記憶

人間の脳には、何か物事を覚える際に、

  • 「ストーリー」にすると覚えやすい

という性質があるようだ。

物事をストーリーで覚える記憶の仕方を「エピソード記憶」と言う。

「エピソード記憶」は、「丸暗記」のような「意味記憶」に比べて覚えやすい*2

『世界史の見取り図』は、「エピソード記憶」を作りやすいように書かれている。興味深く面白いストーリーとして、歴史が語られているからだ。

 

文字がない時代、過去の出来事は「神話」や「民話」として語り伝えられたという。

これもまた「エピソード記憶」を作るための工夫だったのかもしれない。

 

(2)詳しすぎないことの効用

これも大切なことなのだが、『世界史の見取り図』は詳しすぎない

 

人の話を聞くときのことを考えてみるとわかるが、「細かすぎる話」は結局何を言いたいのかわからないことが多い。

むしろ、最初はざっくりと「こういう理由で、こんなことがあった」という「あらすじ」だけ聞いておき、そのあとで詳しいディティールを聞いた方が、頭に入る。

 

『世界史の見取り図』は、「あらすじ」にあたる部分だけを取り扱った参考書だ。

著者は、本の中で「これ一冊で大学受験は無理です」と明言している。掲載されている用語の量が、受験で必要とされる知識量に比べ、圧倒的に少ないからだ。

 

しかし、まさに「詳しすぎない」がゆえに、理解しやすい。

 

余計で瑣末な知識に惑わされず、最も大切な歴史の「幹」の部分に取り組んでいけるからだ。

つまり、この本は、「知識の拡充」という機能を思い切って排除し、「歴史の大きな枠組みを捉えること」に特化した参考書である。

  

(3)著者の「迷い」が見える本

著者は、「この歴史観は適切だろうか?」「この考え方は問題がありそうだ……」と言う「迷い」をも、本の中に書き込んでいる。

僕がこの参考書が好きな一番の理由は、もしかするとこの「迷い」の部分かも知れない。

 

普通、人に何かを伝える時は「自信を持って、はっきりと言い切れ!」と語られる。

しかし、僕は「迷いながらも、正確に伝えようとする姿勢」が好きだ。

その結果、伝え方は曖昧になるかも知れない。

それでもいい。

「はっきりと語られる正しさ」なんて、ロクなものじゃない。

僕は心のどこかで、そう信じているのだろうと思う。

 

 

話が逸れてしまったが、ともかく、僕は『世界史の見取り図』に依拠して、当面の学習を進めていく。

 

 

 

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2.自分自身の「見取り図」を描く理由

『世界史の見取り図』を読んで、その内容を記憶すれば、歴史の大枠を掴むことはできる。

にもかかわらず、なぜ僕は、自分自身の手でも「見取り図」を描こうとしているのか?

理由は2つある。

 

(1)覚えたことを思い出し、説明すると記憶に定着しやすいから

「アウトプットすることでよく理解でき、記憶できる」と言われる。

この考え方には問題点もあるが*3、基本的には正しい。

 

「思い出す」ことで知識が定着する

ブログの記事を作るなどして人に何かを説明するためには、「どうやって説明しようか?」と自分の頭の中で知識を「思い出す」プロセスが必要になる。

まさにこの「思い出す」ことが、記憶にいい効果を与える。

教材をたんに読み直すことよりはるかに効果的なのは、その内容や概念など理解したい事柄を思い出すことである。

バーバラ・オークリー『直感力を高める 数学脳のつくりかた』(P.75)

 

 「説明する」ことで「エピソード記憶」を作る

上で少し触れた「エピソード記憶」。

覚えたいことをストーリーと関連づけることで覚えやすくなる、という話だった。

「ブログを書く」「人に説明する」という経験は、一つの「エピソード」になる。

「あの時、苦労して記事を作ったなぁ」というエピソードと結びつけられることで、その記事の内容も一緒に覚えてしまえるというわけだ。

 

ここまでが第一の理由。

 

 

(2)自説を立ててから学ぶことで「歴史観」の軸を構築できると思うから

「自説」が作る秩序

誰でも胸の内では「僕はこう思う」という自説を抱いていることだろう。

その自説を「物差し」にして、外の世界を測ってみる。

すると、バラバラだった世界が綺麗に整理され、「世界の秩序」が見えてくる。

 

ただし、その「秩序」はあくまでも「自説という物差し」に基づいたものだ。他の人が見ている「世界の秩序」とは違う。

なぜなら、他の人は自分とは別の「物差し」を持っているからだ。

 

自分の「秩序」を持つこと 

万人が共通の「物差し」を持ち、共通の「秩序」の下に生きるべきだろうか?

僕は、そうは思わない。

誰もが自分なりの「秩序」を見いだすことが大切だと思う。そして、お互いにそれぞれの「秩序」を大切にしながら共存すべきだと思う。

このように思う理由を、今はうまく説明できないけれど。

 

僕は世界史の勉強を通して、自分なりに「過去」を秩序立てたい。

そこに「歴史観」が生まれてくると思う。

いま僕は、自分の「歴史観」の軸を作るための作業をしている。

 

血肉となる知識

このようなことを書いていると、ショーペンハウアー『読書について (光文社古典新訳文庫)』の一節を思い出す。

自分で考える人は、まず自説を立てて、あとから権威筋・文献で学ぶわけだが、それは自説を強化し補強するためにすぎない。

しかし博覧強記の愛書家は文献から出発し、本から拾い集めた他人の意見を用いて、全体を構成する。それは異質な素材を寄せ集めて作られた自動人形のようなものだ。(中略)

自分で考えて獲得した真理は、生まれながらに備わっている四肢にひとしい。それだけがほんとうに私たちの血となり、肉となる。(P.13-14)

 

知識は、ただ蓄えるだけでなく、使ってこそ意味がある。

「使える知識」は、本当の意味で自分のものになっていなければならない。

そのためには、自説に基づいて個々の知識を整理し、秩序立てることが必要だろう。

このようにして初めて、知識は「血となり、肉となる」。

 

 

 

本当はこの記事で「見取り図」そのものを書いていくつもりだったが、前置きが長くなりすぎた。

また別の記事に書きます。

 

*1:余談だが、妻も「昔馴染み」の相手である。

*2:より正確には「意識的に思い出しやすい」と言った方がいいだろうか。

また、池谷裕二『記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 』には、以下のような記述がある。

「歳をとって、エピソード記憶が発達してくると、丸暗記よりも、むしろ論理だった記憶能力がよく発達してきます。ものごとをよく理解して、その理屈を覚えるという能力です」(同書、P.190)

中学生くらいまでは「意味記憶」の能力が高く、ゆえに「丸暗記」が有効なこともある。しかし、社会人が勉強する場合、「丸暗記」に頼るのではなく「ストーリー」と関連づけて覚えた方がいい、ということである

*3:「問題点」についてはこちらの記事に書きました。

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