どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、独学のアウトプット。現在は世界史の勉強中。

大航海時代のポルトガル・スペインに学ぶ「挑戦の技法」


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こんにちは、燐太郎(@redphos15)です。

今回は、現在学んでいる大航海時代のポルトガル・スペインについて、「挑戦」という観点で比較し、まとめていきます。

 

 

1.他人の経験に学んで成果を上げたポルトガル

(1)ムスリム商人の経験の集積なくしてインド航路の「開拓」はできなかった

一般に、ポルトガルは、ヨーロッパから大西洋経由でアフリカを周回し、インドへ至る航路を「開拓」したと言われます。

これはヨーロッパ中心的な見方です。

確かに、ヨーロッパから外回りでアフリカを通過していく航路は、ポルトガルが開拓したかもしれない。

しかし、アフリカ−インド間の航路については、すでにムスリム商人が活動していたエリアでした。

ポルトガルの一行は、ムスリム商人を水先案内人として、インドに至ったのでした。

ヴァスコ=ダ=ガマがアフリカ東岸のマリンディからカリカット*1へと向かう際、ムスリム商人に水先案内人を頼んでいたことは、きちんと記しておかなければなりません。あくまでインド洋はムスリム商人の海だったのです。

荒巻豊志『荒巻の新世界史の見取り図 中』P.33

 

(2)補足:「インド航路の開拓」の動機

ところで、なぜポルトガルは、わざわざアフリカを外回りしてインドへ至る、という、遠回りでめんどくさい交易路を「開拓」しようと思ったのでしょうか?

それまでは、地中海を経由して、陸路でインドとの交易を行なっていました。

この貿易を主に担ったのが、ヴェネツィアなどのイタリア商人です。

 

しかし、アナトリア地方、現在のトルコを中心にオスマン帝国が興隆してきたことによって、地中海交易路が使えなくなりました。

オスマン帝国はイスラーム国家であり、キリスト教圏とは仲が悪かったからです。地中海経由の貿易が妨害されてしまったのです。

そこで、新たな交易路を見つける必要がありました。その試みが、ポルトガルによる「インド航路の開拓」へと繋がったのでした。

 

(3)問題を解決するためには「敵」の経験にも学ぶ

興味深いのは、ポルトガルが「敵」であったはずのムスリムを水先案内人として迎え、インドへと至っていることです。

実際、イスラーム圏であったアフリカ東岸の都市との間には、諍いもあったようです。

アフリカ東岸を壊血病などに悩みながら北上、モザンビークやモンバサではイスラーム教徒である現地人の襲撃を受けたため、砲撃を加えたがマリンディでは歓迎され、アラビア人の水先案内人であるイブン=マージドを雇った。

世界史の窓 ヴァスコ=ダ=ガマより)

「彼らは敵だから」とこだわるあまり、その知識や経験までも遠ざけることは、時に自分たちにとって損になります。

ガマは、キリスト教徒としてムスリムと対立するよりも、「インドへ至る」という大きな目的の方を優先し、イブン=マージドを迎え入れたのでしょう。

 

この経緯については、現在参考書として利用している『世界史の見取り図』には詳しく書かれていません。しかし、個人的には非常に興味を持つ箇所です。

いずれ別の書籍で、ヴァスコ=ダ=ガマがイブン=マージドを雇った経緯について調べてみたいと思います。

 

 

2.理論を武器に未知の世界へ繰り出したスペイン

(1)コロンブスの理論的支柱となった「地球球体説」

ポルトガルが東からインドへ向かったのに対し、スペインは西回りでインドへ向かおうと考えました。

この発想は、現代人にとって違和感はありません。地球は丸い、ということが常識になっているからです。

しかし、当時の人々の多くは、そもそも地球が丸いとは思っていませんでした。

いえ、正確には、一部の人だけが「地球は丸い!」と思っていたのでした。

 

大航海時代、イタリアの学者・トスカネリは「地球球体説」という学説を提唱しました。

この理論を信じたのが、有名なコロンブスでした。

「我々が目指すインドは、ヨーロッパから東に位置している。しかし、地球が丸いならば、西へ向かってもインドへたどり着けるはずだ……」

このように考えたのです。

 

(2)「挑戦度」はスペインの方が遥かに上

ポルトガルのインド航路「開拓」は、ムスリム商人の経験にも助けられ、順調に進みました。

しかし、スペインがやろうとしていたのは、全く未知の挑戦でした。

助けになるのは、本当かどうかもわからない「地球球体説」という学説だけ。

この理論だけを武器に、コロンブスらスペイン一行は、永遠に続くようにも見える大海原へとこぎ出そうとしていたのです。

 

教科書では、ポルトガルとスペインは同列に並べて書かれることが多いのですが、冷静に考えてみると、全く次元の違う航海をしていたことに気づくと思います。

ポルトガルの試みも大胆ではありますが、スペインの比ではありません。スペイン人は、めちゃくちゃリスキーなことをやったのです*2

 

(3)ライバル不在の中で大植民地を築いたスペイン

コロンブスは、結局インドへたどり着けませんでした。彼が上陸したのは、アメリカ大陸でした。

当時のアメリカ大陸には、アステカ帝国、インカ帝国などの文明が栄えていました。スペインは、これらの文明を征服し、アメリカ大陸を植民地化していきます。

特に、南アメリカについては、ブラジル以外の全てをその版図に入れました(だから、今でも南米ではスペイン語が公用語になっています)。

 

このようなことが可能だったのは、スペインにはほとんどライバルがいなかったからです。

ライバルとなり得たのはポルトガルとイギリスですが、所詮は二番手、三番手。スペインほどの広大な植民地を獲得するには至りません(のちにイギリスは北アメリカに進出していきますが)。

そして、このようにライバルが少ない状況でスペインが利益を独占できたのは、全く新しい挑戦をしたからでした。

 

証明もされていない理論だけを頼りに、誰も渡ったことのない海へと乗り出す……考えただけで恐ろしくなるような挑戦です。

しかし、そのような大きな挑戦をしたからこそ、スペインはそれに見合った大きな利益を上げることができたのでした。

 

(4)いずれライバルは育ってくる

スペインは、一時期は隣国ポルトガルをも併合し、「太陽の沈まぬ国」と称されるほど、世界の各地に植民地を持つに至りました。

間違いなく、16〜17世紀最大の海洋帝国でした。

しかし、そのスペインも、領地であったオランダが独立する、イギリスとの戦争に負ける、などの事件を経て、没落していきます。

また、南米植民地では独立が相継ぎ、アジアに所有していた植民地・フィリピンはアメリカに奪われ、かつての大帝国・スペインは、西ヨーロッパの一国家にまで転落してしまいました。

 

いくら新しい挑戦をして、独占的に利益を得たとしても、それは長続きはしないものです。ライバルたちは、対抗策を考えて、独占者に対して競争を挑んできます。

その時、どうするか。利益を防衛するために戦うのもよし、ライバルが出現してくる前に新たな「未知」へと挑むのもよし。

この点についても、また歴史から学んでいこうと思います。

 

 

今回はこれにて。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

*1:南インド西岸の都市

*2:ただし、コロンブスはジェノヴァ人、つまりイタリア人でした。イタリア人の船乗りによる、イタリア人の理論に基づいた航海、これがコロンブスの挑戦だったわけです。この点で、スペインの挑戦にも「他人の経験を活用する」という要素が入っていたことがわかります。