どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、独学のアウトプット。現在は情報セキュリティの勉強中。

議論の効用について


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昔から、議論が下手だな、と思う。

それでも、議論から得られる効用の大きさは計り知れない。

その最たるものは、自分の中にある「言語化できていなかった考え」を、きちんと言葉にできる、ということだ。

 

言葉にできるということは、正体が明らかになる、ということ。

そして、正体がわかっていれば、その考えについて自分自身で検討を加え、自省することもできる。

 

この「言語化」については、文章を書くことによっても、ある程度は可能だ。

しかし、やはり議論の方が「言語化」できる度合いは大きいように感じる。

 

執筆は、あくまでも一人で行う作業。どうしても、「自分の視点」からは逃れられない。

「自分の視点」から自分の考えを点検したとしても、見える範囲に限界がある。例えば、自分にとって当たり前すぎる「思考の前提」は、一人で考えていても意識できないことがある。

 

一方、議論は二人以上で行うもの。「自分とは異なる視点」から、自分の考えへの疑問を呈される。

他者の疑問に対して、自分の立場を説明しなければならない。この過程で、無意識のうちに潜んでいた「思考の前提」が明らかになる。自分にとっての「思考の前提」を、他人が共有しているとは限らないからだ。

特に「話が噛み合わない……」と思った時こそチャンス。自分と相手は、おそらく、異なる「前提」に基づいて議論をしている。一度立ち止まり、互いに互いの「前提」をチェックする作業をしてみる。すると、自分が思いがけない「前提」に依拠していたことに気がつくことがある。

 

 

例えば、右翼と左翼。

経済学者の松尾匡氏は、両者の議論が時に噛み合わない原因について、「世界の見方自体が違うから」と説明している。*1

右翼は、世界を「ウチ」と「ソト」に分ける。そして、「ウチ」の側に立つ。

左翼は、世界を「上」と「下」に分ける。そして、「下」の側に立つ。

 

左翼にとっては、弱い者の味方をすることが是とされる。そこに、国籍は関係ない。時には、自国の者より他国の者を優先することもある。

この左翼の行動原理は、右翼からすると「ソト」を重視しているように見える。だから「売国」や「工作員」という非難につながる。

*2

 

しかし、右翼と左翼は、根本的に「見ている世界」自体が違う。

「ウチ」と「ソト」に分けられた世界、「上」と「下」に分けられた世界。

異なる世界に住む者同士が、お互いの「思考の前提」を無視したまま、相互に非難しあっても、価値のある考えは生まれない。

松尾氏の右翼・左翼の定義は、彼の自説の範疇を出ないものではあるが、それぞれの「思考の前提」を点検する足がかりにはなると思う。

 

 

最近まとまってブログを書く時間が取れず、散文ですが、これにて。

 

 

追記

選挙期間中には、様々な政党の意見を聞く機会が増える。

中には、反発を感じる意見もある。

その反発の根っこを探っていくと、一人でも「思考の前提」にたどり着けるかもしれない。

 

*1:http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

*2:本来、記述のバランスを取るために、右翼の行動原理とそれに対する左翼の非難についても書くべきだが、僕は、これをうまく書くことができなかった。なぜだろう。自分にとって、右翼の原理が「当たり前」だからかえって説明が難しいのか、あるいは、「当たり前ではない」からこそ説明できないのか。自分ではよくわからない。