どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

【メモ】依拠すべき古典の選び方


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「自分が依拠すべき古典を、どのように選びとるか?」

こんな問いを立てつつ、「古典」と呼ばれる作品をいくつか読んできた。 

 

しかし、この問いは、方向性を間違えていたかもしれない。

つまり、自分が古典を選ぶのではなく、古典がこちらを選ぶのかもしれない。*1

考えてもみれば、劣ったものが、自分より遥かに偉大なものを見極められるだろうか。狭い見識で、過去の叡智に判断を下そうなどと企むことは、とんだ思い上がりであった。

 

選ばれるための下準備は必要だ。

古典そのものを読んでいなければ、選ばれることもない。時間をかけてでも、まずは様々な古典を直に読んでみることが必要だろう。

過去全ての古典を網羅するには及ばない。そんなことは不可能だ。

相性の良さそうな作品をピックアップして、面白そうなところだけ目を通す、くらいの読み方でもいいと思う。ここには、まだ自分の選択の余地がある。

あるいは、高校や大学の授業で学んだ古典の一節も、1粒の「種」となって蒔かれていることと思う。

 

ある時、記憶の淀みの中から、いつか読んだ古典の一節が立ち現れてくる。

ざっと流し読んで、すっかり忘れてしまったはずの言葉なのに、人生の様々な場面で、自分の内側から、突然、古典の言葉が語りかけてくる。

それこそ「古典がこちらを呼ぶ声」であるように思われてならない。

 

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録3章20節)

 

 

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*1:「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」ヨハネによる福音書15章16節