どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

『教養バカ』知識をある程度身に付けた人へのアドバイス本

 

今回は『教養バカ』という本について書いてみたい。 

教養バカ わかりやすく説明できる人だけが生き残る (SB新書)

教養バカ わかりやすく説明できる人だけが生き残る (SB新書)

 

 

サイエンス・ライターの竹内薫さんの著書。

竹内さんは、NHKの番組『サイエンスZERO』に出演しており、新しい科学技術についての解説をしている。僕は理系の知識には疎いのだが、そんな人間が聞いても「わかった!」と感じられる説明をしてくれる。

本書『教養バカ』は、そんな竹内さんが書いた本であり、かつ、自分が関心を持っている「教養」というテーマを扱っていたので、読んでみようという気になった。

  

概要の紹介

重要と思われる部分の要旨を簡単にまとめると、

  • 教養のある人は、豊富な知識を持っているだけでなく、人にわかりやすく伝えることができる(知識だけの人が「教養バカ」と呼ばれる)。
  • 人に知識を伝えるためには、相手の頭の中に「イメージ」を描かせてあげること。「わかった!」というのは、「頭の中で明確にイメージできた」ということ。
  • そのために大切なのは、相手のことを思い浮かべ「どのように説明すれば理解できるだろう?」と考え、適切な言葉を選ぶこと(このような配慮を「他者意識」と言う)。

こんな具合になるだろうか。 

 

本の中には他にも、

  • わかりやすく伝えるための実践的な技術
  • 「教養バカ」の具体例
  • わかりやすく説明するための「語彙力」の高め方

などについて書かれている。

 

教養人になるための本ではあるが、本書で焦点が当てられているのは「何を学ぶか」ではなく「どのように伝えるか」ということだ。

 

好きな一節:公共心について

僕が「いいなぁ」と感じたのは、以下の一節だ。

教養の意義の一つは、公共心です。教養を深めていろいろなことを知る。必然的にいくつもの視点や考え方で、社会を見ることになります。それを社会に提言することで、よりよい社会に導くことができるのです。(P.21)

 

竹内さんにとって、教養人とは、ただ豊富に知識を持っている人のことではない。持っている知識を、社会に役立つように使っていけること、あるいは、提言できる人のことなのだろう。

知識を1人で抱えているのではなく、社会にシェアして役立てていこう、というスタンスに、強く共感する。*1

 

勉強が進んだ人が「仕上げ」に使うもの

以下は、個人的な意見。 

『教養バカ』は、教養人であろうとする人にとって有益な本だ。それは間違いない。

しかし、この本を活用できるようになるためには、段階を踏む必要がある。

説明する以前に、まず知識を持っていないと話にならない。

当たり前のことだ。

「わかりやすい説明が大事なんだな、よし、説明の技術を磨こう!」と決意するのはいいが、肝心の説明する内容が伴っていないのでは、全く意味がない。

 

説明のために知識を求めるという本末転倒

また、「説明」を意識しすぎると、「表層的な知識」ばかり増えてしまうのではないか、とも感じた。

時々「アウトプットを前提としたインプット」ということが言われる。これ自体は有効な戦略だと思う。僕がブログを書く目的も、アウトプットを通じて、学習内容を深く定着させることが狙いの一つではある。 

 

しかし、アウトプットの意識を強く持ち「すぎる」ことは危険だ。

なぜなら、少しでも人に何かを教えた経験があればわかることだが、何かを教えるためには少なくともその数倍の物事を知っている必要があるからだ。「10の内容」を説明するために、「100の内容」を知っていなければならないこともある。時には「1000の内容」さえ必要かもしれない。

「アウトプット主義」論には、この観点が見落とされているように思われてならない。あまりにも「アウトプットすることが大事!」という方向に意識が向きすぎると、10の内容を知った時点で、意気揚々と10の内容に関する説明を始めてしまう、不十分であることに気づかないまま。

それでも「わかりやすい説明」はできるかもしれない。だが、「正確な説明」はできないだろう。 僕は「正確さ」も大事にしたい。

 

「正確さ」か「わかりやすさ」か?

思うに、「正確さ」と「わかりやすさ」は、どこかで衝突する。 

僕が好んで使う「〜の可能性が高い」という表現は、「正確さ」の側に立った書き方だ。

「可能性」なんて回りくどい言い方をせず、「〜である!」と言い切った方がわかりやすいし、読む人に対して強い印象を与えられる。そのことはわかっている。

しかし、そのように割り切ってしまうのは、僕には難しい。「正確さ」と「わかりやすさ」なら、僕は70%くらいの確率で「正確さ」を選ぶ。手軽な「わかりやすさ」だけを求めていると、いつか取り返しのつかないことが起きる……そんな予感があるからだ。

この予感に、明確な根拠はない。ただ、周りの人が嬉々として「わかりやすさ」に飛びついていくのを見ると、漠然と不安になる。

ある1つの「わかりやすさ」に飛びついた人は、少し時間が経つと、また新しい別の「わかりやすさ」に飛びついている。その生き方や言動に、一貫性はない。

僕は、そうなりたくない。むしろ、「正確さ」の道を一歩一歩ゆっくり進みたいと願う。*2

 

話が逸れてしまった。

 

まとめ

わかりやすく説明することは大切。それは疑いようがない。

しかし、「わかりやすい説明」を支えるための「膨大な知識」が、先に必要だ。

僕がこの本を活用するのは、まだ早い。

 

説明に値する「知識」を身に付けた人には、極めて有用な本だと思う。

「自分には知識はあるが、頭でっかちだなぁ」と感じたら、ぜひ読んでみて欲しい。

  

紹介した本

教養バカ わかりやすく説明できる人だけが生き残る (SB新書)

教養バカ わかりやすく説明できる人だけが生き残る (SB新書)

 

 

同じ著者の、この本も読んでみたい。 

自分はバカかもしれないと思ったときに読む本 (河出文庫)

自分はバカかもしれないと思ったときに読む本 (河出文庫)

 

 

 (180817F 加筆修正)

*1:180817F

最近読んだ本では、松岡正剛さんが似たような学びのスタンスについて話していた。「ぼくが最も感動して真似したのは、兵庫県の但馬に「青谿書院」を開いた池田草庵の方法ですね。(中略)もうひとつは「慎独」で、読書した内容をひとり占めしないというもの、必ず他人に提供せよという方法です。独善や独占を慎むということ。これにもぼくは感動して、なるべく実践してきたと思いますね。「千夜千冊」を無料公開したのも、そこから出てます」(松岡正剛『多読術 (ちくまプリマー新書)』p.129-130)

*2:180817F

僕はかつて、「古典を読もう」という志を立てたにもかかわらず、「わかりやすさ」を重視するあまり、いつまで経っても「入門書」を卒業できなかった。そんな反省も踏まえて、書いている。