どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

「読書カテゴリ」記事の書き方をメモしておく

 

 読書カテゴリの記事数が10を超えたので、自分用のまとめとして、現時点での同カテゴリの記事執筆スタイルに関してメモしておく。

 

1.読み終えてすぐには書かない

ある1冊の本の内容を「理解できた」と感じるのは、いつだろう。読み終わった直後には、完全に理解できてしまうだろうか。

僕の場合、読み終えてから少し時間を置かないと「理解できた」と感じられない*1。本に書かれていた内容が、自分の頭や心の中に根を下ろし、定着するまで、少し時間がかかる。そして、自分の中に根をおろした内容でなければ、うまく記事を書くことができない。

だから、読書カテゴリで取り上げている本は、いずれも「既読後しばらく経った本」が前提になっている。

ただし例外として、「立読み」や「積ん読」のエントリは、読んですぐに、あるいは読まずに書いている。 

 

2.蔵書整理をしながら、書きたいことが浮かぶのを待つ

記事にする本を、どのように選ぶか。

不定期に実施している「蔵書整理」の時に決めている。

やり方はこうだ。蔵書の1冊1冊を本を手に取り、パラパラめくってみる。その時、心の中に何か「書きたい!」という内容が浮かぶかどうか、観察してみる。何かが浮かんだら、文章にする。

心の中から溢れるものに従えば、記事はすぐに出来上がる。無理やり何か書こうとしても、なかなかひねり出せるものではない。自然と湧き上がってくる思いは、簡単に言葉にできる。

  

3.「自分の考え」をメインに書く  

僕が書いているのは「書評」だろうか。そのような側面もあるが、主眼は違う。「本と関わることで生じた、自分の思考の変化」に焦点を当てていることが多い。

ここで言う「関わる」とは、熟読に限らない。たまたま開いた箇所で目にした一節に感銘を受けたり、帯の売り文句について何かを思ってみたり。こんなことも「関わる」に含めたい。

 

そのような書き方をするのであれば、「本の全内容」についてまとめたり、触れたりする必要もない。 何百ページもある中の、自分が気に入ったたった一文だけについて書いてもいい。これならば、いくらでも書ける。

「本」を媒介として生まれた自分自身の思考内容について、書いていきたいと思っている。

 

本は仲間であり道具 

僕は、本のことを「自分の思考を助けてくれる仲間であり道具」であると捉えている。

道具であるから、主導者は僕自身だ。逆にはしない。つまり、ある特定の本に自分の思考の全てを委ねるようなことはしない。「これさえ読めば答えがわかる」という従属的な意識で本を読まない、ということだ。

 

もちろん、本を読む際には、著者の論理を追いながら、その主張を正確に掴まなければならない。いわば「著者の土俵」に乗る必要はある。好き勝手に読み散らかして、自分好みの解釈ばかりしていては、何の学びにもならない。

それでも、読書の主体性はあくまで自分自身が持つべきだ。著者の主張を正確に理解した上で、自分自身はその主張に対して何を思い、考えたか、ということが大切になる。対話的に読む、ということである。*2

そして、自分自身で考えた内容を表現する。このような記事なら、書いていて楽しい。また、読む方にしても、人の意見を鵜呑みにしただけの記事よりも面白いはずだ。

  

4.記事を書くために読むのではない

最後に重要な注意点を指摘しておきたい。

僕は「自分自身の学びのために」本を読んでいるのであって、決して「記事を書くために」本を読んでいるわけではない。

ブログを書こうが書くまいが、読む本は変わらない。ただ、読んだ本の中で、たまたま「記事にできそうだ」と感じた一部分を記事にしているだけ。「記事にしやすそうだから」という観点で本を選んだり、読んだりはしない。

この点についてあらかじめ明記することで、今後の自分へ警鐘を慣らしておきたい。

 

追記:カテゴリの細分化とタイトルの微調整(H29.9.24)

 

ツイッターの埋め込みをしてみたかったので、試しに。

 

 (180817F 加筆修正)

 

追記2

その後、ブログ構造の「体系化」に伴い、「読了」「積ん読」「立ち読み」のカテゴリは消滅した。

「体系化」についてはこちら

www.redphos.com

 

*1:180817F

作家の佐藤優氏もこう書いている。「本を読んでから、その情報が頭の中で整理されて、きちんと引き出せるようになるためには、一定の時間が必要になる。これには個人差があるが、筆者の場合、だいたい3カ月から6カ月すると、新しい知識が「発酵」して頭に定着し、自分で運用できるようになる」(佐藤優『読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門』p.245)

*2:180817F

「もし読書の精神ということがいえるなら、読書の精神は対話の精神であるといいたい。精神というのは、その純粋な形、本質的な在り方という意味である。この精神は抽象的なものではなく、精神が同時に方法でもある。読書は対話の方法に依らなければならぬ」(三木清「読書論(b)」)