どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

焦る独学者とシェアしたい聖書の言葉・「シラ書」より


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お前のために定められていること、それを熟慮せよ。

( 旧約聖書「シラ書〔集会の書〕第3章22節)

 

一人で黙々と独学に取り組んでいると、時々「自分の能力は低いのではないか……」「成長速度が遅すぎるのではないか……」と悩むことがあると思います。そんな時、上の言葉を思い出してほしいのです。

これは、旧約聖書続編*1に含まれる「シラ書」という書物の一節です。新共同訳版には、この一節を含む意味段落に「謙虚」という小見出しがついています。

22節の文脈を把握するため、前後の部分を引用してみましょう。

 

17 子よ、何事をなすにも柔和であれ。

そうすれば、施しをする人にもまして愛される。

18 偉くなればなるほど、自らへりくだれ。

そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる。

19 身分の高い人や著名な人は多い。

しかし、神の奥義は柔和な人に現される。

20 主の威光は壮大。

主はへりくだる人によってあがめられる。

21お前の力に余ることを理解しようとするな。

また、手に負えないことを探究しようとするな。

22 お前のために定められていること、それを熟慮せよ。

お前に示されていないことを知る必要はない。

23 できないことに手を出すな。

お前に示されたことは、既に人間の理解を超えたものなのだから。

24 多くの者が早合点して道を誤り、

誤った推測で判断をゆがめてしまった。

35 目がなければ、光を見ることはできない。

知識がないのに、知ったかぶりをするな。 

 

文脈を踏まえると、21節の「お前の力に余ること」「手に負えないこと」や、22節の「お前に示されていないこと」は、 神のことを指すと思われます。また、23節の「お前に示されたこと」は、既に啓示された神の言葉のことを指すのでしょうか。

 

このことから、上の引用部は「神のことを知ることはできないのに、わかった気になって思い上がってはならない。自分の能力を過大評価せず、神の前に首を垂れ、謙虚になりなさい。そうすれば、神に喜ばれる」という意味の文章であると解釈します。

 

文脈に即した意味を把握した上で、ここからは「独学者」の視点で、ある程度自由に解釈を試みたいと思います。

 

独学者たるお前は、「お前のために定められていること」すなわち、自分の目の前にある取り組むべき課題に、真剣に取り組めば良い。

他人が、自分の及びつかない能力を持ち、活躍しているのを見聞きしたとしても、そのような能力や機会は「お前に示されていないこと」であるから、今は「知る必要はない」。

人間には、全てを知り、全てを行うことなどできない。せいぜい、自分に示されている分しか取り組むことはできない。「できないことに手を出すな」。

ひたすら謙虚に、「定められていること」に取り組め。

 

この解釈は、「どうせ大したことはできないんだから、夢見ることはやめろ」ということではありません。そうではなく、あくまでも自分の成長の可能性を肯定した上で、そのプロセスにおいて「今やるべき課題に取り組む」ということです。

自分が今できることに取り組めば良いわけです。人と比べて、「あいつはこんなにできる、あんなものを持っている」と羨んでも、仕方ないでしょう。それは、自分には「示されていない」ものですから。その点については、思い切ってあきらめることになります。ただし、将来の可能性まで諦めることはありません。

一方で、今の自分のために「定められていること」が必ずあるはずです。そして、それは既に目の前にあります。

今この時は、そのような課題について熟慮することが、独学者のなすべきことではないでしょうか。

 

3 

抽象的な解釈だけを述べてもわかりにくいですから、ここで、僕自身のことに引きつけて、解釈の説明をしてみます。

 

僕は、教養を身につけるために独学に取り組んでいます。「国際的な舞台で仕事をする」という目的のためです。

海外のエリート層と付き合うためには、教養人であることが求められます。相手から「知的につまらないやつだ」と思われたら、深い関係を築くことは難しい。人間関係の深さは、仕事の内容にも影響します。海外のエリート層が関わるような仕事の場で活躍したければ、教養を身につけるしかありません。

このことは僕自身が身をもって体感した話ではないですが、しかし、様々な人が異口同音に「教養が大切だ」と言うものですから、おそらく真実なのでしょう。

 

教養を身につけるため、この一年間、手探りで様々な勉強に取り組んで来ました。その取り組みの一端は、ブログやTwitterに投稿しています。学習内容は、世界史を軸に、宗教や数学、芸術や国際政治など。コミュニケーションツールとしての英語にも取り組んでいます。

いずれの科目も、学べば学ぶほど、自分の無知無明を思い知らされるばかりで、正直ひたすら苦しいです。しかし、目的のため、ここでやめるわけにはいきません。

 

目指す知的レベルは、元外務官僚で作家の佐藤優さんです。

ただ、自分があの領域まで到達できるとは、どうしても思えない。佐藤さんの本を読むたび、その知性の鋭さに感銘を受けると共に、自分の能力の低さを思い知らされ、絶望的な気持ちになります。

 

そんな強烈な不足感を抱えていると、つい「ウルトラC」を謳うような誘いに乗りたくなります。曰く、「聞き流すだけで英語がペラペラになる!」だとか、「ページをめくるだけで本の内容が頭に入るようになる!」だとか。

冷静な時ならば「馬鹿馬鹿しい」と見向きもしないものが、強烈な不足感が介在することによって、魅力的に見えてきます。

そんな時、ふと、シラ書の言葉を思い出すのです。

「お前のために定められていること、これを熟慮せよ」

 

目的へと向かう過程で、今、自分のために定められている課題とは何なのか。

英語を習得するために、何を熟慮するのか。効果があるかもわからない音声垂れ流しCDを高額で買うことか。違う。英語で知的なコミュニケーションを行うためには、一つでも多くの単語の発音と意味を正確に覚え、正確な文法に従って書かれた英文を一つでも多く暗唱し、論理的な構造を持った英語の文章を読み、あるいは自分でも書く作業を延々と繰り返すことだ。

読書の速度を向上させるために、何を熟慮するのか。10万円出して2日間のセミナーに参加し、ページを高速でめくるだけの技術を習うことか。違う。本を読むスピードは、本の内容に関してどれほど基礎知識を持っているかがものをいう。だから、遠回りに見えても、高校レベルの知識を一つずつ固めていくことが、最終的には速読を習得する早道になる。

一足とびに目標へ到達できることを謳う「ウルトラC」を金で買うのではなく、長く地道な成長プロセスの一段階を見つめ、それを踏み固めながら、たゆまず進んでいくにはどうすればいいか、熟慮することだ。

 

……とまあ、こんなことを頭の中で思うわけです。

 

「お前のために定められていること、これを熟慮せよ」

この言葉を思い出すと、今自分が真に取り組むよう要請されていることは何なのか、と立ち止まって考え直すことができます。僕の場合、それはひたすら地道な日々の勉強、であることが多いです。*2

ひたすら謙虚に、地道に日々の勉強を積み重ねた先に、大きな達成がある、と僕は信じます。

 

 

 

一つ前の記事を書いたら、急に筆が進んで、もう一つ書いてしまいました。現在、午前2時前。眠いです。

最後に本の紹介です。

 

併せて読みたい本の紹介

 

達人のサイエンス―真の自己成長のために

達人のサイエンス―真の自己成長のために

 

「大きな達成のためには、ひたすら地道な日々の取り組みが大切である」ということを教えてくれます。このような姿勢を、本書では「マスタリーの道」と読んでいます。

また、上達の過程では、結果がなかなか出ない時期=「プラトー」が長く続くものである、という主張についても注目です。長い「プラトー」の先に、ある時、急激に成長する時期が来ます。やっと報われた……かと思ったら、また成長が止まるように見える「プラトー」がやってくる。ひたすら、この繰り返し。しかし、これこそが成長の王道なのである。

こんな本です。質実剛健な生き方を目指す人におすすめです。ぜひ、Amazonのレビューも参照してみてください。大体内容がわかると思います(僕自身でも詳細なレビューを書くべきでしょう。が、眠いので一旦打ち切ります)。 

 

*1:「続編」は、教会によって「正典」とするか否かの見解が異なる聖書の部分です。

*2:中には、高額な音声垂れ流しCDや、10万円のセミナーへの参加が「自分のために定められていること」と判断する人もいらっしゃるかもしれません。まあ、何を信じるかは自由ですから、強い言葉で否定しようとは思いませんが……。