どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

不完全さと、理想と

 

大体、完全な形を求めるから失敗する。

 

ブログを書くにしても、

「きちんと構想を練り、時間をとってパソコンの前に向かい、文章の構成を工夫し、投稿する前には何度も推敲を重ねて……」

なんてやろうとするから、続かない。僕のことだが。

このような書き方は「理想」だ。

理想を捨ててはいけない。「理想なき現実主義」は醜いからだ。醜いものは、何かを間違えている。僕はそう信じている。

一方で、理想を100%の形で現実のものにすることは、不可能とは言わないまでも、難しいことが多い。この「現実」も受け入れるべきだろう。

 

ブログ執筆に関して言えば、上記のような取り組み方で「完全に書く」ことは、僕にとって困難である。しかし、「書かない」よりは「不完全でも書く」方が、理想には近い。

ということで、この記事は、帰宅電車に揺られながら、スマホでぽちぽち書いている。

 

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「目指すこと」と、「達成する能力があること」を区別しつつ、統一的に考える必要がある。

世界から争いをなくせるとは思わない。これは「能力の有無」の話だ。それでも、世界から争いをなくさなければならない。これは「目指すこと」の次元の話だ。

双方の観点が必要で、どちらがより重要というものでもないように思う。今はこの主張を論証できないが、正しいという予感はある。

 

美しくないものは、間違えている可能性が高い。言い換えれば、正しいものは美しい。

先ほど使ったこの原理は正しいだろうか。

というより、正しいって何なのか。そんなものがあるのか。

 

「正しさはある」と仮定することが、哲学の前提であり、あらゆる思考の前提なのだと思う。

これも「目指すもの」と「能力の有無」の話に通じる。実際に「正しさ」があるかはわからない。それでも「正しさ」を目指して思考し続けなければならない。

 

「正しさなんてない」と言い捨ててしまうことは、実は簡単だ。何の責任も負わないでいいし、カッコ良く見えもする。

それでも、カッコ悪くても、時代遅れでも、決して達成できなくても、それでも、正しさを目指したいのだ、僕は。

 

「それでも、と言い続けろ」という台詞を広く世に広めたガンダムUCの功績は、評価されるべきだろう。

 

「正しいものは美しい」という原理について。

僕は「真善美は同じものである」という、いつだか耳にした主張を、素直に信じている。

あるいは、そうあって欲しい、という願望であり、この世界そのものに対する僕の信仰である。

 

ところで、決して達成できないとわかっているものを、どうして目指せるだろうか?

無意味だし、むなしい。

 

それでも、と言い続けられるだろうか。

 

 

永遠平和のために (岩波文庫)

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