どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

電車の書籍広告に思う

 

ある電車の広告スペースに、新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』と津川友介『究極の食事』が掲載されていた。どちらも読んだが、良い本だ。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 
世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

 

 

特に、数学者である新井さんの名前は、以前から『数学は言葉』などの著書を立ち読みして知っていた。こちらは最近知ったことだが、彼女は「AI技術を使って東大合格を目指すプロジェクト」の主導者でもあった。そんな人の本だから、内容も濃いし、面白い。

 

以下、内容の要約。

  • 「AIが神になる」といったような未来像は単なるロマンである。なぜなら、AI技術の実体である数学に、そもそも限界があるから。
  • 数学の(そしてAI技術の)限界とは、人間の知的活動の基盤である「意味」を扱えないことである。だから、意味の理解を必要とする高度な読解や、それに基づく判断は、AIには行えない。このような知的活動を必要とする仕事は、AIに奪われない。
  • しかし、単純な読解については、AI技術によって既に代替可能である。実際、センター試験の偏差値は57.1であり、平均的受験者を上回る。
  • AI技術によって代替可能な仕事は、既に数多くある。たとえば、ローンの与信調査なとで既にAI技術が使われている。
  • そのような状況で、企業は、人件費のかかる人間労働者を解雇し、安価で安定的に動くAI技術を導入することによって、生産性を高め、利益を上げていくことになる。AIを導入しない場合、競争力を失って倒産する。
  • その結果、将来、ホワイトカラー労働者の職の多くが無くなる。
  • 労働者が雇用され続けるためには、AIが持てない能力、すなわち「意味の理解を必要とする高度な読解力」を身につける必要がある。
  • しかし、現在の日本の中高生の中には、意味の理解を必要とする高度な読解ができず、AIと同程度の読解力しか持たない者が増えている。そのような人間の労働力は、AI技術によって簡単に代替できてしまうため、職を得ることができない。
  • 高度な読解力がどのように身につくかは、研究中である。

今後の社会変化の中で「生存」を真剣に考えていくためには、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』のような本が重要になる。

 

また、新井さんは、本書の印税を受け取らないと宣言している。日本の教育に貢献するためだ。

私はこの本の印税は1円も受け取らないことに決めました。2018年度からRST(注:著者が主導する教育プロジェクト「リーディングスキルテスト」のこと)を提供する社団法人「教育のための科学研究所」に全額が寄付されます。それを原資としてリーディングスキルテストのシステムを構築し、問題を作ることで、一人でも多くの中学1年生が無償でテストを受けられるようにします。(p.286)

これこそ、僕が目指す「教養人」の在り方だと思った。尊敬する。

 

さりげなく書かれたこんな一文にも打たれた。

数学者にとって、自分が生きているうちに問題が解けないのは当たり前のことです。(p.163)

かっこいい。知的探求者として、僕もこうありたいと願う。

 

つい本と著者の紹介になってしまった。もう、それでいいか。

一応、メインにするつもりだった主張も付け加えておく。「変な本を広告スペースに載せるな」ということだ。

特に、公共性の高い電車内という場だからこそ、このことを強く思う。

具体例を出すことはひとまず避けるが、どう見ても怪しいスピリチュアル本やら、能書きだけは立派な薄っぺらい金儲け本やら、とにかく「妙な本」が広告に出されているのをしばしば見かける。

そんなことが続くと、たまに現れる「良い本」の広告も、怪しく見られることになってしまう。これが問題だ。

今回の記事で取り上げた『AI vs.教科書が読めない子どもたち』などは、子育て世代のすべての親たちに読んで欲しいくらいの良書なのに、電車の書籍広告に掲載されているだけで、急に「過剰な危機を煽るデマゴギー本」に見えてくる。

僕は読了していたにもかかわらず、そのような印象を受けた。ショッキングなことだ。未読の人はどのように感じるのだろう。

 

「場所」は、そこで行われてきた活動の蓄積によって、「ここは、こういうことが行われる場所だな」というイメージを獲得していく。

そして、獲得された場所のイメージが、今度は逆に、そこで行われていく諸活動に「こういうこと」のイメージを返していく。

だから、いくら金になるからといって怪しい本の広告ばかり出していると、その広告スペース自体が「怪しい本が紹介される場所」というイメージを獲得してしまう。

そして、その場所で紹介される本は、「怪しい本」というイメージを返されてしまう。

結果、本当に広めたい本の広告を出しても、信用されなくなる。これは非常に残念なことだ。