どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

ゆっくり読むこと

 

本を速く読みすぎるのが問題だ。

表面を撫でただけの「知識」では役に立たない。読んでいても、なんと言うのか、「作業」や「処理」になってしまう。それでも知的興奮は得られるが、心の深いところが変化していくような「対話」は訪れない。

 

紙面に現れている文字列を媒介として、より深いところに流れている著者の精神の運動を、自分の眼ではなく精神において、捉えなくては。その結果、獲得されるのが「知恵」と呼ばれるものなのだろう。

そして、このような精神的対話の過程は、速読では実現できない。肉体の運動速度が物理的に制約されているように、精神の運動速度にもまた、制約があるのだ。

交響曲を三倍速で聴いても、何の感動もない。同じように、本を速く読むことで失われるものがある、確実に。

 

なるほど、時には、速く読んだ方がいいこともある。新聞は速読しなければ読み終わらない。また、本の全体像を掴む上で速読は便利だ。

自己の生存に資する情報を効率よく収集するためなら、速読の習得は現代人に有用かもしれない。

だが、速読はあくまでも必要悪、と位置づけたい。速く読めば読むほど、得るものは浅いからだ。そのような方法で処理した本を「読んだ」と認識することは、危険極まりない。

ゆっくり読めば、得るものは深い。そして、ゆっくり読む本については、決して読み終わることがない。終わりは始まりになる。こちらを読書の本流に据えたいと思う。

 

そのためには、とにかく意識的にゆっくり読むこと。むやみに本を買わないこと。他人に影響されて焦らないこと。

知識人と呼ばれる人に「これは必読」と本を紹介されても、「そんなの知るか」と言い返せるかどうか。権威に弱い者は、ゆっくりと読むことはできない。