どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

2018年の思い出ベスト3

 

第3位 ストラディヴァリウスのチェロを生音で聴けた

 

当方、趣味でチェロをやっている。ついでながら、当ブログの筆頭人気記事は、常に楽器に関する記事だったりする。

 

www.redphos.com

 

弦楽器奏者の末席を占める者として、「ストラディヴァリウス」は憧れの楽器である。この楽器、高いものでは億単位の値段がつくのである。どこぞの成金社長がご購入あそばされた、などと風の噂にも聞いたりするが、それっぽっちのことがニュースになるほど、ものすごい楽器なのである。

まあ、すごいすごいと書きはするけれども、僕はこれまで、そのすごさをよくわかっていなかった。あの音を聴くまでは。

 

「自分の存在さえ忘れるような演奏」と出会ったことがあるだろうか。聴いているという意識そのものが消失する体験。

ストラディヴァリウスの生演奏は、誰もが知る名曲「白鳥」から始まった。

空間を揺さぶる音色は……あれはなんと表現したらいいのか。言葉を持たない。言葉にしたならば、体験そのものの純粋性が失われてしまう。これ以上は書けない。

音を音として感じ、記憶することでしか、僕は、この体験を自分の中に保存できない。無理に言葉にしようと思えばできる。が、そのあと、僕はこの体験の中核である真の価値を喪失してしまうだろう。それはとても悲しい。だから、今ここで言語化はしない。

言葉とは、抽象化し、仮構するものだ。そのプロセスにおいて、多くの微細なニュアンスが失われる。真に価値ある体験においては、そのニュアンスこそが大切なのだ。ゆえに、言語化は拒まれる。*1

僕は、あの演奏の、魂をふるわすような体験を的確に描写しうる言葉を持たない。そのことを悔しく思う。

 

とにかく、すごい演奏だった(小並感)。

 

 

第2位 『ジャン・クリストフ』の一節に出会った

 

年末に『一日一文』を購入した。

一日一文 英知のことば (岩波文庫)

一日一文 英知のことば (岩波文庫)

 

 

古今東西の名作の引用が、366日それぞれに割り当てられている。この類の本は数あれど、この『一日一文』の水準は極めて高いと感じる。まあ、引用される作品はどれもこれも、それ単体で一人の研究者が生涯を捧げうるようなものなのだから、当然である。

12月30日は、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』から引用されていた。本来禁じ手ではあるが、孫引きさせていただく。

「叔父さん、どうしたらいいでしょう? 僕は望んだ。たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない! 退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。……」

…… ゴットフリートはやさしく言った。「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。」(第三章「青年」)

『ジャン・クリストフ』(一)、豊島与志雄訳、岩波文庫、一九八六年

 

「望む、また生きる、それは別々だ」……たったこれだけ言葉にされただけで、年来の生きづらさが解消された気がした。望むことと、生きることを同一視するから、思い通りにいかないことで苦しくなる。別々だとわかっていれば、憤ることもない。まあ、相変わらず苦労はするだろうが、そういうものなのだ。

そして、続きの部分も良い。「望んだり生きたりするのに飽きないことだ」と来た。人生に過度な期待をするのでもなく、かと言って、絶望して山奥に隠遁するのでもない。やるべきなのは「飽きないこと」だけ。それ以外のことは責任の範囲外においてしまえばいい……ああ、それなら自分にもできそうだ。こう思えて、力が湧く。

 

今読み返してみると、甥っ子の方(こちらがジャン・クリストフ氏なのだろうか)の言葉も胸に刺さる。「なんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです」と、2回も繰り返すところが、特に痛々しい。自分の存在を何かの役に立てようと望むのに、そうできない辛さは、僕も共有できる。日々の仕事では、そんな風に思うことはしばしばだ。

文学作品の中で、自分と似たような苦しみを抱えた人物を見いだすことがある。『文学講義』を書いたナボコフは、登場人物に自分自身を投影する読み方を「低級だ」と言うけれども、僕は、それで読者の心が少しでも軽くなるなら、別に良いだろうと思う。低俗な読み方をしてでも、少しは明るく生きられた方がいい。……とも言い切れないところに、言語表現の難しさがあるのだけれど。

 

先ほどのストラディヴァリウスの話では「言葉の限界」について触れたが、僕は、どちらかといえば「言葉の可能性」を信じている。生きることの苦しみを正面から受け止めつつ、それを力強く肯定してくれる言葉に出会えるかどうかで、人生の質は大きく変わると思っている。

この『一日一文』は、そのような良質な言葉との出会いをたくさん用意してくれていると思う。年の最後に、いい本を買った。

 

 

第1位 息子が生まれた

 

ああああとにかくかわいいやばい

 

 

 

 

以上です。

 

 

*1:原因の1つは言葉の「線型性」にある。言葉は、同時的なものごとについて、同時的に語ることができない。AとBという同時的な事象を語る際、必ず、A、BあるいはB、Aと順番に表現せざるを得ない。これが線型性による限界である。