どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

書籍所有欲という執着、暮らしの中の読書

 

僕は、本をよく買う。

本を買う動機としては、「その本を読みたい」という気持ちも当然あるのだが、中には「その本を持ちたい」という気持ちが大きく働いていることもある。

別にそれが悪いこととは思わない。特に、古典と呼ばれるような本を手元に置き、いつでも書名を眺められるようにしていると、思わぬ着想を産むことがある。これも読書の一形態である。だから、過去の自分の行いを全否定するつもりはない。

 

問題は、その行いが、現時点での「暮らし全体」の中でどのように評価されるか、ということである。

従来の購買スタイル、すなわち「読み切るだけのキャパシティは今はないが、とりあえず買っておく」という買い方は、向こう2年間は難しくなった。なぜというに、家族が増え、部屋が手狭になるからである。収納スペースを広げるために、僕は、多くの本を預けることになった。もちろん有料である。経済的合理性という観点から見れば、読みもしない本を買った挙句、それを預けるのに再度お金を払っているわけで、非合理極まりない。

だが、暮らしを優先するためには、今は本を預けるしかない。 

子供が大きくなってくる2年後には、今よりも広いマンションに引っ越すつもりだ。そうすれば、今回預けた本を収納できるだけのスペースも得られるだろう。

 

 

暮らしを中心に読書をする、という考え方は、この本から学んだ。

増補 遅読のすすめ (ちくま文庫)

増補 遅読のすすめ (ちくま文庫)

 

 

よく紹介する本の1つである。

世の中のいわゆる「読書術」の本を読む際には、その著者の暮らしに注目した方がいい。例えば「多読」を勧める本があるとする。その多読というのは、著者が「作家だから」あるいは「ジャーナリストだから」必要なだけで、別に読者には必要ないかもしれない。というより、読者の暮らしはそのような読み方を許さないかもしれない、時間的にも、金銭的にも。

暮らしか、読書か。どちらを優先するか。

前者だ。本が読めなくとも、暮らしを優先するべきである。

本に熱中すると、つい暮らしを後回しにしがちだ。それではいけない。本を読むのは、善く生きるため。だが、善く生きることは、本を読むことだけではない。毎日の暮らしの中に、善い人生はある。おそらく、ソクラテスだって賛成してくれるだろう。

暮らしは、人それぞれに個別的なものだ。一人暮らしの学生と、子供のいる社会人の読書スタイルは、違っていて当然である。

 

ついでに言うと、読書能力も人によって違う。同じような暮らしぶりでも、読むのが速い人もいれば、遅い人もいる。速く読んでいるのに、しっかり深く読めている人も、中にはいらっしゃるのである。これは脅威だ!

だが、圧倒的な能力の違いを見せつけられたからと言って、焦ってはいけない。できないものはできないのだ。この点を受け入れた上で、歩みを始めよう。世の「すごい人」の話を真に受けて、無理に生来のペースを超えた水準を求めれば、早晩、破綻することになる。*1

あくまでも生来の自分のペース(と現在の暮らし)に立脚した読書スタイルを作ることだ。

 

*1:少しずつ負荷をかけることによって、読書速度を向上させることはできる。が、それで読書が充実した時間になるかと言えば、別にそんなこともないように思う。