どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

何度でも問い続ける「いかに読むか」

 

1 

本を読もうとするからには、何かしら目的があるはずだ。

  • 知識を習得するために読む。

あるいは、

  • 読書自体を楽しむために読む。

両者は、しかし必ずしも明確には区別されているわけではない。

知識の習得のための読書は、時に楽しみをも与えてくれる。あるいは、娯楽のために読んだ本の内容が、思わぬ場面で役に立つこともある。「どちらか一方の目的に完全に特化した読書」というのは、それほど多くなさそうに思われる。

だからと言って、これらを区別することには意味がない、ということでもないだろう。読書に向かう基本的な態度は、前者と後者とでは明確な違いがある。

 

前者のスタイル、知識を習得するために行う読書は、基本的に「効率化」を志向できるし、そうすべきだ。これは「速く大量に」を意味するものではない。むしろ、むやみな速読多読は益より害が多い、と今では思っている。

知識の習得を目的とする読書では、計画的な本選びが重要だ。まあ、必ずしも完璧に計画通りの進行になるとは限らないが、ある程度は先々の見通しを持って本を選んでいくのが、こちらのスタイルでは正道と思う。

効率化を志向する以上、こちらの読書は「技術」が強く求められるスタイルである。具体的な読書の技術についてアドバイスする本は多々あるが、僕は今のところ、以下の2冊に強く影響を受けている。

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 
東大教授が教える独学勉強法 (草思社文庫)

東大教授が教える独学勉強法 (草思社文庫)

 

 

実は2冊とも、蔵書整理にともなってストレージサービスに預けてしまったため、手元にない。が、その主張の要点は頭に入っている。

『読書の技法』は、繰り返し「基礎知識の重要性」を説く。基礎知識とは、具体的には「高校の教科書レベル」とのことである。それから、読み方を「超速読」「速読」「精読」に分けるよう勧めている。このうち「超速読」と「速読」は、基礎知識が身についていないと実行できない。「超速読」はその本を読むべきかどうか判断するためのものである。「速読」をするときは、完璧主義を捨てること、1回で内容を把握し再読を許さない気持ちで読むこと。「精読」では、書き込みを入れながら同じ本を3回読み、ノートをとる。

『独学勉強法』から得た最も重要なアドバイスは、「本はきちんと理解しながら読め」ということ。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、普段なんとなく読んでいる本の内容は、意外と理解できていない。理解の度合いは、「著者に代わり、著者の立場から、その問題について説明できるか?」と問うことで試せる。佐藤優さんがよく言うところの「著者の内在的論理を掴む」というやつだろう。

 

3 

また、最近は、この本のアドバイスに対しても意識的になるようにしている。

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 

なぜ読んでいない本について語れるかと言えば、本文の記述を知らなくても、その本の「位置づけ」を知ることはできるからだ。位置づけさえわかっていれば、読まずにその本について語ったとしても、大きく間違えることはないのだという。だから、重要なのは本自体を読むことよりむしろ、本の「位置づけ」を行えるような「知の世界の全体像」を掴むことである。著者はそのように主張している。この主張は、佐藤さんが説く「基礎知識の重要性」と通じるものがありそうだ。 

これって、要するに「いきなり哲学書を読むのではなく、その前に哲学史を一通り把握せよ」というアドバイスだろう。この方法には意を唱える向きもあるが、しかし、特に哲学や自然科学の場合、必ずと言って良いほど「それ以前の定説に対する批判」が主な内容であるのだから、最初に全体像を掴んでおくことは必須ではなかろうか。

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4 

「知の全体像を獲得することが重要」という主張は、そういえば以前も読んだことがあった。確かこの本だった。

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

 

 

例によって今は手元にないので参照できないが、記憶に間違いがなければ、本書には「全体像」を掴むための具体的な方法も書かれており、その方法とは「大型書店の棚を隅から隅まで見て回ること」である。これは今でも愚直に実行し続けている。だからこそ、化学の基礎を勉強した後、自分の変化にすぐ気がつけた。

不思議なことに、目次を覚えるだけで、その内容が身近に感じられるようになるのだ。書店へ行けば、たちまちその効果を実感できる。従来の自分にとって、書店の化学書コーナーは「何があるのかよくわからない棚」でしかなかった。しかし、目次暗記を経た後では「この本は、もしかするとこういう内容かな?」と想像できるようになる。

2月1週の独学テーマ - どくどく記 〜読書と独学の記録〜

 

「素読」も知識習得のための読書に入る。

素読のすすめ (ちくま学芸文庫)

素読のすすめ (ちくま学芸文庫)

 

 

素読は何のために行うのかと言えば、江戸時代なら儒学の基礎づくりため、長崎通詞ならオランダとの貿易のため。いずれも「娯楽」というよりは「知識の習得」に主眼が置かれている。現代でも、語学力の基礎づくりとして素読が有効である、というのが『素読のすすめ』における著者の主張の1つである。

 

6 

それから今日、新しくこの本を買ってみた。

難解な本を読む技術 (光文社新書)

難解な本を読む技術 (光文社新書)

 

 

Twitterで紹介されていた本。色々見て回ったところ、どうやら大きめの書店にしか置いていないようだったので、とりあえず確保した。今取り組んでいる「難解な本」は、まあ『資本論』だろうか。

 

『難解な本を読む技術』をAmazonで検索した際、関連本として以下の書籍が紹介されていた。

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

 

 

こちらもなかなか良さげで気になる。書店で見つけたらチェックしてみよう。

 

7 

読書の技術は「主体化」しなければならない。三木清が書いていたことだ。

万人にとってベストであるような技術はない。技術は、個人に合わせて最適化される必要がある。試行錯誤を繰り返しつつ、自分のスタイルに合うように技術を体系化していくプロセスが「主体化」である。読書の技術を伝えてくれる先人たちも、同じように「技術の主体化」をしてきたはずだ。

三木清教養論集 (講談社文芸文庫)

三木清教養論集 (講談社文芸文庫)

 

 

さらに言えば、主体化のプロセスが止むことはない。新しいテクノロジーが生まれれば、それに伴って読書の技術も改良できる。例えば「印刷機」の出現によって読書の技術は大きく変わったはずである。あるいは、今まで知らなかった新しい発想を取り入れることで、従来の技術を進歩させられそうなら、そうするだろう。僕の場合、大学時代に知った『本は10冊同時に読め!』という発想は、非常に新しかった。試しに取り入れたところ、良い具合に機能したので、取り入れた。もちろん、複数の本を併読するやり方がうまくハマらない人もいるはずで、その場合には取り入れなければいいのである。

大切なのは、良さそうなアイデアだと思ったらまずは試してみること。そして、自分に合うと思ったやり方を、自分の判断で取捨選択していくことだ。

いずれ自分なりの「読書の技術」をまとめてみたいものだが、まだその時ではない。

 

 

娯楽のための読書についても、現時点での思うところを書くつもりだったが、疲れたのでまたの機会にする。