どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

疲れてきた

 

息子を膝の上で寝かせながら、スマホでこの文章を書いている。

 

仕事と育児の疲れが溜まってきている、と感じることが増えてきた。

仕事中、キーボードを打つ指がもつれたので驚いたし、何となくぼーっとしてしまう時間が増えた。『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』によると、仕事中に「無気力感」が生じるは、やる気の問題ではなく「疲れ」が原因のことが多いらしい。思えば、この半年は仕事も何かとストレスフルであった。加えて、出産に育児に、ストレスのかかるライフイベントが続いている。

まあ、やっぱり疲れてるんだろう。

独学はかろうじて継続できているが、進度は相当遅くなり、機械学習やTOEICの勉強は完全にストップしている。「まずいなぁ」と思いつつ、時間があれば寝たいので、寝ることにしている。そうしないと、心身がもたないと思う。

総じて言えば、やりたいことはあまりできていない。

 

だが、これが僕の暮らしなのである。

「制約」なんて言葉を使うのは、もうやめにする。そんな言い方では、子供が邪魔者みたいだ。

言葉は心を変え、心は行動を変える。制約という言葉を使い続けるならば、それによって次第に変質するであろう僕の心と行動は、いつか子供を傷つけることになる。

もしそんなことになったら、僕は死ぬときに「これでよかった」と思うことができない。

 

人生において何か達成すべきものがあるとしたら、それはおそらく「今この場所」にこそあるのだ。

計画とか、キャリアプランだとか、そんな事ばかり考えていたら、一番大切な「今この場所」を失う。

ディープラーニングの重みパラメータなんかより、今膝の上に感じている約5キロの重みの方が大切なのである。

 

その上で、余力を使って新しい知識と技能を身につけ、可能な限り前に進んでいきたい。現状に安住するならば、僕は堕落する。進み続けることでしか、まともではいられないのである。

それでいて、「今この場所」をないがしろにしない。ジレンマだ。うまくやるのは難しい。ときにバランスを崩すことは避けられないだろう。

それでも、やるしかないのだから、やるしかない。

 

 

Twitterについて。

これまで、情報収集を行うため、またアイデアをメモするためにTwitterを活用してきたが、最近になって、心を乱す「余計な情報」に触れてしまうことが多いと感じるようになった。

ここしばらく、某カルト団体周辺のニュースや、某オンラインサロンの炎上騒ぎに興味をそそられ、Twitterで関連情報を収集しては、その閲覧に時間を費やしてしまっていた。

浪費したのは時間だけではない。感情が大きく揺れたことで、「精神エネルギー」とでも呼ぶべきものもまた、浪費していた。好奇心、憤り、侮蔑、嘲笑……これらの感情は、一度発動すると長続きし、収まる頃には非常に疲れている。

Twitterは、育児、仕事以外の「疲れ」の原因の1つになっていると思う。元気なときならともかく、ただでさえ疲れやすい今の状況で、心を乱すような情報に触れているのは危険だ。

そんなわけで、近々、Twitterからの撤退を考えている。活用可能性のあるアイデアメモを残したままなので、それを処理し次第、だろうか。(190218月 済み) 

情報の流れを自分でコントロールできなければ、自分がコントロールされる側になってしまう。

KGBスパイ式記憶術 p.234)

 

 

ところで、子供を抱っこしながら読む本は、小説がいい。

内容の論理的把握が必要な本(『化学の歴史』など)や、TOEICの問題集などに取り組んでいると、頭を使う過程で「イライラ」に近い感覚が湧きあがってくる(聞きかじっただけだが、脳からβ波が出ているのだとか?)。そのような心理状態でいると、だんだんと子供を抱っこしていることがストレスになる。ただただ「重い」としか感じなくなるのである。これは明らかによくない。

一方、小説は、まあストーリーにもよるが、たとえば今読んでいる『苦海浄土』のような作品、情景や心理をよく想像して物語の中に浸れるような作品なら、集中して読んでいてもイライラしない。むしろリラックスした状態(脳波で言えばα波か?)に近づいている。すると、抱っこしていても「重い」というよりは「愛おしい」という気持ちが強まる。不思議なものだが。

まあともかく、子供を抱っこしながら何かを読むときは、リラックスできる本を選ぼうと思う。