どくどく記 〜読書と独学の記録〜

読んだ本の記録と、考えた事のアウトプット。

どくどく日誌(4月13〜15日)

 

土日。育児の合間に素読や只管朗読をしつつ、まとまった時間が取れたときには『イスラーム主義』を読み進め、読了。『西洋の自死』は6章まで読み進めた。チェロの練習には行けず。

 

15日

朝。素読と只管朗読を少しやる。

通勤電車。『父が娘に語る経済の話』を読む。思うに、僕は読書に向かうとき「ざっと読んで、わからなければまた読めばいい」と思っている。だから読みが浅くなる。一度で理解するつもりで読み、2回目も同様に。それでこそ深い理解が可能になるものだろう。「また次回わかればいい」という甘さを部分的に捨てるべきだ。

 

同書冒頭、「誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件」……同感だけども、しっかりした意見を持つには事実を知り、その後で論理的に考えることが必要で、そのためには前提として十分な余暇が求められる。全体的に見て、今この社会に経済についてゆっくり考えているような余裕があるとは思われない。すると「強い言葉で断言する者」に振り回されるようになり、その結果がトランプ大統領の誕生だったのではないか。問題の根幹は「余裕のなさ」にあるが、これもまた経済の問題であって、それを解決できるとしたら「余力のあるエリート」ということになるだろう。我々「余力なき庶民」は、未来を信じて耐え凌ぐしかないのである。さもなくば、見境のない暴動に身を任せるかだ。後者はとりたくない。

 

やはり同書冒頭、「私たちの人生を支配している資本主義という怪物とうまく共存することが出来なければ、結局は何もかも意味をなさなくなってしまう」……日本人なら人生を支配するものとして「世間」というものが加わるだろう。こちらは社会学で分析されている。「資本主義」や「世間」のように、己を取り巻き、かつ決定的な影響を及ぼしている物事については、その存在を知り、構造や働きを掴んでおけば、多少は生存しやすくなるはずだ。

 

同書第1章「なぜ、こんなに『格差』があるのか?」……『イスラーム主義』によれば、いわゆるイスラム過激派のテロ、特に最近のテロの特徴として、もともと過激な人間がテロをするためにムスリムになる、ということがあるらしい。そして、その過激性の背景には「格差社会」があるとのこと。これが正しいならば、格差を小さくしようと努力することが、間接的な、そして真っ当な「テロとの戦い」になるわけだ。また、格差だけではなく、社会からの断絶感も過激化の一因だろう。一市民としてできることは、孤立している人に手を伸ばしてあげることくらいだが、そんなことでも日々積み重ねれば、1つの大きな事件を防げるかもしれない。

 

一方で、「本当に格差は深刻なのか?」と問い直してみる必要もある。『FACT FULLNESS』では、「今の世界は思ってるほど深刻ではない」ということがデータで示されていたはずだ。

それから、もし格差が解消されたとして、その後はどうなるか。時間が経てば、再び格差社会が始まるだろう。頭にあるのは冷戦前後の変化だ。冷戦期、資本主義国は共産化を防ぐため、福祉国家化した。が、冷戦が終わると、資本主義の論理を前面に押し出した「新自由主義」の時代が来た。目先の問題が通り過ぎれば、資本主義は何度でも本来の姿を追求し始めるのではないか。このようなメカニズムの存在を想定した上で、資本主義社会で生き延びるためには何をすべきか考えないといけない。

 

移動中の電車。語学アプリをやる。片手間でも続けていると、意外と覚えてくるものだ。

仕事で夜遅くなる予定なので、これにて投稿。